沿  革

 

昭和62年 設立総会を開催。
初代会長に木村長兵衛緑岡高等学校長を選出し、事務局を緑岡高校に置く。
加盟134校、9部会で設立され、同年、全国高文連へ加盟。
昭和63年 県高等学校芸術祭(演劇祭、音楽会、美術展覧会)を児童・生徒芸術祭から分離独立して開催。
以後、毎年この形で開催し今日に至る。
平成5年 財政難によりこの年から会費を値上げ。「茨高文連会報」を年2回発行とした。
平成7年    関東地区高文連へ加盟。
平成9年 創立10周年記念事業として10周年記念誌を刊行。
平成12年 昭和62年以来部門別に別会場で実施してきた茨城県高等学校芸術祭の開会式を一緒に行うこととし、第1回総合開会式を県立近代美術館で挙行。
プログラムも5部門合併版を作成。
   
平成13年 「部会新設に関する規則」を制定。弁論部会が設立され、部会数が10となった。
第2回茨城県高等学校芸術祭総合開会式を県民文化センターで挙行。
以後、毎年ここで実施し今日に至る。
平成14年 天文・科学部会、文芸部会が設立され、部会数が12となった。
平成15年 文芸道場関東ブロック大会を水戸市で開催。
全国初のコンピュータ部会を設立し、13部会となった。
この年、県内132の公私立高校とほとんどの特殊教育諸学校が茨高文連に加盟。
平成17年 会費値上げを行い、活動の活発化を図った。
友部高校演劇部が全国高総文祭で文化庁長官賞を受賞し、県内高校として初の優秀校公演を国立劇場で行った。
平成18年 郷土芸能部会が設立され、部会数が14となった。
平成19年 小倉百人一首かるた部会が設立された。
音楽部会が合唱、吹奏楽、器楽・管弦楽、日本音楽、マーチングバンド・バトントワリングの各部会に分離独立した。部会数が19となった。
平成20年 新聞部会が設立され、部会数が20となった。
平成21年 第38回全国高等学校総合文化祭の開催申請書提出。
茨城県高等学校文化連盟シンボルマークの募集と原案決定。
平成22年 第38回全国高等学校総合文化祭開催地内定。
茨城県高等学校文化連盟シンボルマーク制定。
吟詠剣詩舞部会が設立され、部会数が21となった。
平成23年 天文・科学部会が自然科学部会と名称を変更した。
鹿島灘高校和太鼓部が全国高総文祭で文化庁長官賞を受賞し、優秀校公演を国立劇場で行った。
平成24年 会費の値上げを行い、活動の活発化を図った。
ボランティア部会が設立され、部会数が22となった。
放送・映像部会が放送映像部会と名称を変更した。
平成26年 特別支援学校部会が設立され、部会数が23となった。
放送映像部会が放送部会と名称を変更した。
第38回全国高等学校総合文化祭茨城大会(いばらき総文2014)が開催された。
平成28年 創立30周年を迎え、その記念事業として記念誌の刊行、構成劇の上演を行った。
令和元年 吟詠剣詩舞が廃部となり、部会数が22となった。
財政難のため「茨高文連会報」を年1回発行とした。
令和2年 財政難のため会費を値上げを行った。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響により、県総文祭「総合開会式」及び「音楽会」を中止とした。
令和3年 当連盟の役員の選出方法を規約に追記し改正を行った。
令和4年 令和2年、3年と新型コロナウイルス感染症の影響で対面での各種会議の開催が難しく、書面決議を行った。今後、このような状況において書面決議がスムーズにできるよう規約に追記し、改正を行った。 
令和6年 軽音楽部会が設立され部会数が23となった。
令和7年 特別支援学校部会が廃部となり部会数が22となった。